能楽―常に進化し続ける伝統

能楽―常に進化し続ける伝統

武田結子


冬休みの間に、母国日本に帰っていました。その際に、世界で最も古い舞台芸能といわれる能楽に少し触れることができました。能楽は室町時代から続く、日本の古典音楽劇の代表的なものです。

海外で日本人俳優として暮らしていると、よく日本の伝統舞台芸能、特に歌舞伎、文楽、能楽について尋ねられることがあります。正直言って、今までその一つも習ったことのない私は、質問に答えることができないでいました。あと、歌舞伎や文楽が、女性の活躍する場所ではないことも、女優である私の知識、経験不足の要因の一つです。でも、能楽はどうでしょうか?少し調べてみたところ、日本にはたくさんの能楽を学べる学校や稽古の場があるようでした。そしてそれらのほとんどが、未経験者、女性歓迎だったのです。

というわけで、ある日、能楽師の梅若基徳先生に連絡をとり、能楽の稽古方法や舞台哲学についてインタビューさせてもらえないか、と尋ねてみました。梅若先生は、私の不躾なお願いを快く承諾してくださったどころか、ワークショップとして能の体験もさせていただけることになりました。そのために、先生の新しく建設された西宮能楽堂に招待していただきました。

そして、平成29年12月27日の午後、梅若先生による能の体験ワークショップに参加することができたのです。ワークショップは四つのパートで構成されていました。能楽堂の建築に関する説明、すり足の稽古、能面の説明、そしてQ&A。以下の文章は、それぞれのパートの要約です。

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(1)能楽堂の建築に関する説明

西宮能楽堂は兵庫県にある阪神電車鳴尾駅から徒歩数分の場所にあります。鳴尾は能の戯曲の中で描かれる場所のひとつだそうです。能楽堂の外装はコンクリートの壁がモダンな雰囲気を醸し出しており、伝統芸能が発信されているというので古風な木造建築物を想像していた私にとっては意外でした。梅若先生によると、内装は伝統的なデザインで、外装はモダンなそれになさりたかったそうです。




実際、建物の中に足を踏み入れてみると、外の無機質な雰囲気とは打って変わって、有機質、つまりは木の温もりの感じられる内装になっていました。まず控え室で短い説明のあと、能楽堂に案内されました。

能楽堂に入ったとたん、柔らかい白い光と、木の新鮮な匂いが溢れていました。「近代に建てられた能楽堂のほとんどが室内です。初めの頃は、野外に建てられていました。」と梅若先生。「電気照明器具の存在しなかった昔は、能の舞台の照明として自然の光、つまり太陽光を使っていました。この西宮能楽堂が建てられている時、舞台が南向きになるように頼んだんです。そうすることによって、窓から自然光が舞台に向かって差すんですよ。」とのこと。


(写真提供:西宮能楽堂)

そして、舞台の色々な場所を指さしながら、梅若先生は説明を続けられました。能楽堂のデザインは共通で、日本にある能楽堂はすべてほぼ同じ造りになっているそうです。600年以上も同じデザインを維持するなんてすごいことです。そのデザイン一つ一つに、歴史と文化の跡があるんですね。以下は、説明があった内のいくつかを抜粋したものです。

白洲

客席と舞台の間を仕切る白い石ころたち。白洲と呼ばれ、結界の役目を果たすとともに、太陽の光を反射して舞台を照らす役割もあるそうです。



能の舞台

舞台は檜を使って建てられています。檜は日本では神木と呼ばれるほど重宝されており、寺院の建築によく用いられます。強く、耐久性に優れた檜で建てられた神社やお寺は、何百年と崩れることなく建物の威厳を保つそうです。檜の独特の香りも、多くの日本人が愛するものです。私も、舞台の上でその匂いをかぐと、なんとも神聖で懐かしい感覚になりました。能の舞台には、細心の注意と敬意が払われています。舞台に上がる際には、必ず白足袋を履くこと。

舞台は大きくいって四つのエリアに分けられます。橋掛り、本舞台、後座(横板)、地謡座です。

橋掛りは、舞台向かって左側にあり、演者が登場、退場するための道のようなもの。橋掛りを渡る時点ですでに演技は始まっています。橋掛りの末端にあるのが揚幕とよばれるもので、五色の鮮やかな幕です。これは陰陽の五行思想から来ているらしく、緑色が木、黄色が土、赤色が火、白色が金、紫色が水という、各々万物を形成する元素とされています。あらゆるものは、五行から生まれることから、演者の出てくるこの場所に五行の幕があるのも頷けますね。

橋掛りにそって立てられているのが若松で、本舞台から一の松、二の松、三の松と数えられます。数が大きいほど松の丈が短くなっていき、より空間の奥行や、遠近感を強調します。


本舞台はメインステージで、縦横三間(約5.5m)の正方形です。このエリアは4本の柱で仕切られています。舞台向かって左奥がシテ柱、右奥が笛柱、舞台向かって左前が目付柱、右前がワキ柱です。シテ柱は、シテ方がよく立つ側の柱、笛柱の隣には、笛の奏者が座ります。ワキ柱の傍にはよくワキ方が立ち、目付柱は、シテが舞台の奥行を知る目印になります。能面を付けると、視界がグンと狭くなるので、目付柱は、シテが舞台から落ちることなく歩き回れることを可能にする重要な役割を果たします。


本舞台の天井の中央には、金具の滑車が取り付けられています。「あれは、道成寺という戯曲の際にだけ使われるもので、あそこから大きな鐘を吊り下げます。そのためだけにあります。」と、梅若先生。能楽には現存しているもので約240もの戯曲があるそうです。


後座(横板)は舞台奥に位置し、主に囃子方の人たちが座る場所です。囃子方は、締太鼓、大鼓、小鼓、能管から構成されています。

「ここの天井が少し傾いているのが分かりますか?」、梅若先生が後座の天井を指さしておっしゃいました。「これはですね、音が客席にちゃんと届くようにするための工夫なんです。天井が傾いてるおかげで、私たちの声も反射されて客席に届くようになります。」、とご説明。なるほど、昔は今のようにマイクやら音響器具がなかったでしょうから、このような建築の知恵が必要だったのでしょう。


それから、梅若先生は、鏡板と呼ばれる舞台奥の壁に描かれている老松に関するお話をされました。老松の絵は、能楽では背景画ではないそうです。というのも、昔の昔は、能の演者は、神が宿るとされた老松に向かって演技をしていたそうなのです。それが、人間のお客が見に来るようになったことで、実物の老松の代わりに、その絵を舞台奥の板に描いたらしい。鏡が実物の老松を映しているように、というので鏡板という名がついたんだそう。老松の松葉は神様が降りてくるようにと、全部上を向いています。

そして、さらによく見ると、老松の後ろに梅の木の枝が何本か描かれています。梅若先生いわく、老松に梅の木が付け加えられて描かれているのは、おそらくここ西宮能楽堂だけだろうとのこと。梅若先生の名字から「梅」をとって、というのと、周りには竹を描いた壁もあり、松竹梅で縁起が良いのでこういう構成になったらしい。

「でも、よく見てください、梅の花の蕾は描いてますけれども、花は咲いていません。これはですね、花というものは、舞台の上で演者が咲かせるものだ、という考えから来ています。」と梅若先生、微笑みながらのご説明。本当の「花」は、演者と観客の心の中に咲くもの。なんとも美しい表現ですね。


この時点で、私は能楽堂のとても豊かな歴史に感動していました。建築の細部までこだわって造られていて、その一つ一つにストーリーがある。それらが全体となって、自然に対する畏敬の念や、神妙さを醸し出している。

梅若先生のご説明は続きました。舞台向かって右奥、後座側の出入口はとても小さい。「これは、囃子方の人たちのためのものです。舞台に上がって来る時に、お辞儀しないと通れないほど低くなっています。」と、梅若先生。入り口が低いことで、舞台に向かって敬意を払う礼を忘れず行えるようになっています。


その隣にあるのが、舞台向かって右端の地謡座に面する出入口。これは、普通の人が通れる高さです。でも、これは、いわゆる社会的に位の高い人、天皇陛下などが利用するためのもので、普段はめったに使われないそうです。


能楽堂建築の説明が一通り終わると、今度は能の基本的な歩行方法であるすり足の体験です。

(2)すり足の稽古

能の公演をよく見ると、誰もが演者のユニークな歩き方に気付きます。上半身はぶれることなく安定し、足は地をすべるように一定のテンポでなめらかに動いている。「能は歩行の芸術とよく言われます。」と梅若先生がおっしゃるように、その芸術の原動力はすり足にあるのでした。

すり足という言葉は、能だけでなく、日本の武道や他の伝統舞台芸能でも使われます。そのおかげで様々な形のすり足があります。基本的には、すり足というのは、上半身をブレさせずに、身体の重心を地面と水平に、線状に、滑らかに移動するための脚の運びです。

我々が普通に立った場合、重心は身体の中にあるのですが、能の立ち方をすると、重心は身体の外になります。というのも、母指球に体重の80%ぐらいをかけながら骨盤を少し前に傾け、腰を少し反らせてやや前傾姿勢になるためです。丹田あたりがグッと引き締まり、背骨自体は真っ直ぐに伸び、視線は前に。

この姿勢から、まず左足を前に滑らせるように出していきます。右足を通過した時点で、左足のつま先を床から一センチぐらい上げて、下ろします。それから右足を同じ要領で前に。左足を通過した時点で右足のつま先を一センチ上げて、下ろす。この一連の動作の繰り返しで、能のすり足となります。足を動かす時に、上半身がぶれないようにするのは言うに及ばず。

梅若先生のご指導の下、私もすり足に挑戦しました。足を動かそうとしたとたんに、上半身の小さなブレを感じました。足の裏を床につけたまま動かそうとすると、足が緊張してなかなかスムーズに進めません。しばらくすると、緊張もブレもましにはなりましたが、かなりの集中力を要するもので、身体の芯から疲れました。でも、このすり足、普段の生活ではあまり味わえない身体の感覚に触れられるようで、ワクワクしました。

残念ながら、このすり足体験の模様を写真におさめることはできませんでした。


もし、すり足が実際の能でどのようなものかに興味がおありでしたら、梅若先生の海外公演の模様を撮った動画がありますので、ご覧ください。



(3)能面の説明

能楽の特徴の一つが能面です。能面には約60種類の基本形と、約250のバリエーションがあるそうです。シテ方だけが、能面をつけます。能面と衣装を合わせると、最大で約40キロになることもあるそうです。梅若先生は、いくつかの代表的な能面を見せてくださり、その一面一面の説明もしてくださいました。

まず最初は、小面と呼ばれる、15、16歳ぐらいの少女の面。この面は真っ直ぐな黒髪が純粋さを表しています。昔の女の人は、眉毛をそって、おでこにそれを描いていたそうです。


次は、若女。小面と若女の違いは、横の髪の毛の描かれ方です。小面のそれが太くずっしりとした筋であるのに対し、若女のそれは三本の細い筋になります。これは歳をとり、人生経験が増えたことの表れであるとされています。


それから、深井。これは40から50歳ぐらいの女性で、おでこが少し盛り上がり、頬に皺があります。この年齢から、女性の口角はだんだんと下がっていきます。家事などの重労働で、肌の色はだんだんと濃くなります。より実際の人間の肌色に近いです。


老女の面は、頬がこけて、目の周りもくぼんでいます。おでこはさらに盛り上がり、狭くなります。ですが、この年齢から、女性はだんだんと内面が浄化されていきます。


老婆は、老女よりもさらに歳を取った面で、目は小さく、顔の表情が柔らかくなっています。髪の毛は真っ直ぐに戻り、人生経験と知恵が浄化され、内面化されたことを表しています。


これまで紹介された女性の能面を並べてみると、美しい女性の一生がうかがえるようです。


「今日何人か女性の参加者の方がいらっしゃいますけれども、これを言ったら女性の方に怒られるかもしれませんが、女性の方、怒ると怖いです。」と笑いながら梅若先生、次の能面の紹介にお移りになりました。能楽では、いくつか鬼と化した女性を描いている戯曲があります。その鬼になる過程を表す能面の数々です。

鬼に関する面に共通しているのが、女の人の怒りは悲しみから来ているという事です。例えば、恋人に裏切られただとか、想いが通じなかったとか、そういったことから起こる深い悲しみ。面をよく見てみると、眉毛が全部八の字に下がっているのが分かると思います。普通、怒ると眉毛は吊り上がるものですが、能の女の怒りは悲しく垂れ下がった眉毛と共に表現されます。

最初の面は、泥眼とよばれるもの。目が黄色になっています。口角はさらに下がり、少し乱れた髪の毛は、心の乱れを表します。


橋姫(はしひめ)は、眉間に皺が寄りさらに眉毛が下がっています。肌の色は赤色に。


生成(なまなり)は、鬼になりかけのように、小さな角と牙が出ています。髪の毛はさらに乱れ、心の悶えを表すかのようです。


そして、最後は般若。鬼です。ギラリと光る黄色い目と、立派な角、乱れ切った髪の毛が特徴です。


これらの面を並べ見て、改めてその繊細かつ生き生きとした表情に驚かされました。


梅若先生は、最後にもう二つ能面を見せてくださいました。

獅子口はまるで母音の「あ」を叫んでいるかの如く口を大きく開いています。鬼の面と違って、獅子口は眉毛が吊り上がっています。怒りと力の象徴でしょうか。

長霊べし見は盗賊の面だそうです。その口は、「ん」と言うように閉ざされています。獅子口の「あ」が外に向かって出ていくパワーであるのに対し、長霊べし見の「ん」は内に秘めるパワーを表しています。


能面の紹介を一通り終えると、梅若先生は、その内の一つをお取りになり、お顔に付けて見せられました。能面は、普通の人の顔より小さく作られているので、付けるとあごの先が出るようになっています。「ですから、舞台の上で演者があごを動かして喋っていると、だんだん能面が話しているように見えてくる、とお客様からよく言われます。」と梅若先生。


能面を付ける際に、いくつかの留意事項があります。第一に、表面には絶対に触らないこと。防水加工も何もしていなので、指紋などが付いてしまうと、全部塗り直さなければいけません。それから、端についている紐を通す穴の辺りは触って良いので、そこを持って、能面を取り、一礼してから顔にあてます。そして、能面の角度を調整するのに、おでこと頬のあたりと能面の間に綿のパッドを入れていくそうです。

私も、ちょっとだけ能面を付けさせてもらいました。それどころか、面をつけたまま舞台をすり足で歩く体験もさせてもらいました。面を付けたとたん、視界がぐんと狭まり、距離感が混乱しているのが身をもって分かりました。「面無しの時と全然違うでしょう?」と梅若先生。確かに、舞台を歩いていると、さっきとは違った体感覚になっていました。能面の角度を変えずに真っ直ぐに歩くというのが、難しい。すり足がいかに大事か、です。能面の角度を一定に保てる能力がなければ、そこから微妙な角度に変化させて、感情表現をしていくことなどできないのです。



(4)Q&A

ワークショップの最後は、梅若先生と参加者とのQ&Aでした。場に甘えて、沢山の質問をさせてもらい、梅若先生は、その一つ一つに丁寧に答えてくださいました。

以下は、そこからの抜粋、要約です。


質問①:能の稽古にはどのようなものがあるのですか?


答:お稽古は謡と仕舞があります。謡は大体200曲ほどあるんですけれども、それを一曲ずつ習っていきます。謡の本を声を出して読んで、節の付け方とか、節回しを稽古していきます。仕舞も一曲ずつマスターしていきます。

仕舞は踊りとは違います。踊りというと、飛んだり跳ねたりという上下運動があって、みんなと一緒に音楽に合わせて動くというのが多いです。盆踊りとかね。仕舞の舞というのは、「まわる」から来てるので、舞台を円運動で動いていくんですね。だから、足はほとんど床から離れない。それと、仕舞は一人で動きます。それに、音楽に合わせて動くんじゃなくて、音楽をリードしていく感じです。


質問②:能の公演のためのリハーサルとかって、どのような流れでなさるんですか?


答:私たち能の演者は、外国の演劇のようなリハーサルというものはいたしません。というのも、他の謡の方とか囃子方の人たちと一緒にやる時には、もうすでに一定のレベルに達していなければいけないからです。ですから、リハーサルと呼べるようなものは、普通公演前の一日だけです。あっても二回しかしません。有名な戯曲をやる時は、リハーサル無しのぶっつけ本番の場合が多いです。やったとしても、合わせるだけの稽古です。そこで、お互いのタイミングだとか、出どころを確認しあうわけです。即興はありません。台詞、動きは全部決められています。でもその決められた型の中で、それぞれの役者の個性が生きてくるんで、同じでも全然違うようにお客さんには感じられるんです。



質問③:日本の伝統舞台芸能というと、歌舞伎とか文楽というように、その家に生まれていないといけないとか、あるいは、すごく幼いころから師匠の下で学び始めなければならない、という事をよく聞きます。能楽もそうなんですか?


答:いや、そんなことないですよ。私はたまたま能楽の家に生まれたので、三歳の頃からやってますけど、お年を召されてから能を始められた方たくさんいらっしゃいます。60、どころか80歳になってから始められた方だっておられますし。能は、何歳からでも始められますし、一代でプロの能楽師になられる方もおられます。それに、芸術大学の邦楽科などでも、能楽は勉強できますしね。あと、1970年あたりから、女性の能楽師の方も出てくるようになりました。そういった意味で、歌舞伎や文楽に比べたら、門戸は広いと思います。



質問④:たくさんの外国の方が能に興味を持っておられると思いますが、その関心の高さについてどう思われますか?

答:そうですね、私共へ外国からの問い合わせがものすごく多いです。今まで結構な数の海外公演やりました。フランス、ルーマニア、アメリカ、ブルガリア、ギリシャとかね。一回、クロアチアの有名な演劇祭に呼ばれて行った時のことなんですけど、そこのプロデューサーが「井筒」をやってくれと、リクエストしてきたんですよ。井筒っていうとね、中に15分ぐらい何もしなくてじーっとしてる場面があって、これは外国の人には面白くないやろうなと思って、そこの部分だけカットして台本を向こうに送ったんです。そしたら、「何で省いたんだ?全部やってほしい。」と返事が来まして、結局カットせずやりました。だから、外国の人ってそういう能の部分も含めて全部に興味があるんですね。あと、外国の方って、お話の筋に関して面白い質問もされます。物語の解釈の仕方が、我々とちょっと違うんで、なるほどと思う事多々ありますね。

あとね、外国の方からの質問で一番困るのが、神様に関するもの。能楽でいう神って何なの?っていうね。外国って神様一人だけのところ多いでしょう?で、日本はいっぱい神様がおられる。そんないっぱいいたら、どうやって順番つけるのとか、どの神様が一番なのかとかね。日本人にとっては、水と波の違いみたいなもので、区別しようにも、元が一緒のものだからあまり意味がないんですよ。

能楽では、あらゆる神を扱います。能楽師は舞台の端に神様がいるように演じるんです。それがお客さんに見えるか見えないかは別としてね。



質問⑤:世阿弥の残した風姿花伝の中に、「秘すれば花」という一節がありますが、とても美しい表現ですね。先生はどのように捉えておられるんですか?


答:まぁ簡単にいうと、全部見せたら舞台は何の面白みも無くなる、ということです。「花」というのは見えないもので、見えないからこそお客を惹きつけるんです。これは能に限ったことじゃなくて、人間関係にしてもそうで、相手をいくら良く知ってて仲が良くても、必ずその人に関して何か知らない事、見えない事がある。だから、面白いんです。

「花」は常に一時的なもので、今しかないんです。儚く、一回しかない。咲いては散っていく。だから能の公演も咲いて散る花のように、毎回違うんです。じゃないと、嘘です。だから、能の公演は普通は、一演目一回だけなんです。外国のように、数週間、数か月にわたって同じ劇をやることはありません。海外公演で同じ演目を数日にわたってやらなければいけない時は、演者を毎回変えてやります。でないと、必ず事故がおこるので。一回の公演に全神経を集中できるよう、そのようにしています。

あと、世阿弥の言った言葉で、「初心忘るべからず」がありますけど、これは間違って解釈されていることが多いです。


これは、目標をもって、そこに到達したら次の新たな目標をたてて進んでいく、ということではないんです。新しい経験や発見の積み重ねのことなんですね。


例えば今日のワークショップで、お面付けたり、すり足を体験したでしょう?その時、何か新しい経験をしたじゃないですか?それが、世阿弥の言う初心なんです。そういう風に、常に新しい発見、常に自分をアップデートしていくことなんです。



質問⑥:他のジャンルのアーティストの人たちとお仕事なさることはあるんですか?


答:はい、よくコラボレーションやります。クラシックピアノの方とか、ジャズの方とか、宝塚の方、あと舞踊の方たちや、ほかの演劇の方たちとも一緒にやりました。違うジャンルの方とやると、色んな刺激がありますね。コラボでは、私は私のやるべきこと、能をやります。コラボだからといって、能の型を変えたりだとかいう事はしません。そうして他のジャンルと交わうことで、私にとっては能の再認識ができる。能は脆い部分もあれど万能プレーヤーなのだな、と思います。床を拭いて綺麗にしてさえくれれば、能は成立します。だからどんなジャンルとも一緒にできるんです。



質問⑦:先生の能楽の将来のビジョンは何ですか?


答:今回のようなワークショップなどを通して、より多くの人に能を広めるというのがまずあります。より多くの人に、本当の能を見てもらいたい。この西宮能楽堂を建てたのも、能を含めた日本の伝統芸能が身近に経験できるように、との思いからです。この能楽堂は、客席100ほどの小さなもので、自然光が入ってこられる。そんな空間では、お客さんが能に「触れる」ことが可能になります。

そうしてこの場をみなさんに開放することによって、能は次の世代に受け継がれていくんだと、私は確信しています。公演の際には、教育の一環として、戯曲や能に関する講義や体験セミナーを行ったりもしています。

理想は、お客さんと一緒に作っていく能楽でありたいと思っています。


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体験ワークショップを終えてから数か月もの月日が経ちました。なんと面白くて強烈なインパクトのある経験だったことでしょうか。能楽を再発見できたようで、とても嬉しかったです。私の体験した能楽は、現代でも生き生きとしており、その技術はあらゆるジャンルの役者にとって有益なものだと感じました。なかでも、能の演劇哲学にはひどく感銘を受けました。役者には「花」がなければならない。演技の中で花開く見えないもの、そして観客の心にもそれを咲かせる。まだ「花」というものが何なのか完全には理解できていない私ですが、それが何百年という能楽の歴史を支える命の源であると思っています。毎年季節ごとに人の目と心を潤す花のごとく、能楽はこれからも進化し続け、その活力が衰えていくことはないでしょう。


最後に、貴重なお時間を割いてワークショップを行ってくださった梅若基徳先生に、改めて感謝の意を表します。それから、このブログの執筆にあたり、資料、写真提供などでご協力いただいた西宮能楽堂に感謝します。ありがとうございました。

日本伝統芸術文化財団

一般財団法人 日本伝統芸術文化財団

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