「梅若姓」の者のみに使用される特別な扇。
3月16日 大槻能楽堂にて、先祖から受け継がれる舞い。「蘆刈」を舞う時に使用される、特別な扇。
いつの時代も梅若家の舞いは多くの人を魅了し続けている。
若という字は、539年前の出来事
後土御門天皇は、梅若基徳の先祖梅津太夫景久の舞いをみて、「若いのによく舞ったと」という記録があります。
ここからは
多分そうだったかもしれない劇場・・・
熟練の人間にしか表現が難しい部分や雰囲気を見事にあらわし、華麗な舞いを披露。後土御門天皇、その後の日本のリーダーとなった人たちが魅了され続けた・・・
織田信長
織田信長は決戦の直前まで能の舞いを舞うほどの愛好者でもあり、能の必要性や魅力を理解していた人物。だから天下をとることができた・・・その信長は誰から能を学んだかは定かではありませんが、後土御門天皇も認めた、梅若家の舞いを間違いなくみていることでしょう。その証拠に、信長は梅若大夫を後援しています。
豊臣秀吉
豊臣秀吉は大出世をして信長の一番弟子のような存在にります。もしかしたら、信長が真剣に取り組んだ能の魅力に他の家臣より、いち早く気付き、信長が心を許せるようなよき理解者になったのかもしれません。織田信長の後を継いだ豊臣秀吉もかなりの能の愛好者でした。秀吉は梅若大夫を観世座のツレ家とし、観世座の一員として活動しています。
大政奉還
その後、幕府が崩壊して、能の存続が危ぶまれこのまま行けば、消滅しかけようとしてたとき梅若基徳の先祖梅若実がとても厳しい状況の中、今の現在に残すため復興のため尽力しました。当時能楽師として生きていける状況ではなく、とても厳しい環境だった。
多くのリーダーが現れた新時代
日本が新しくなる明治維新の時に、ある団体が海外へ視察に行きます。そこでみた様々なことが、今も受け継がれてきています。その団体のひとりが、素晴らしい舞台芸術を目にします。それはオペラでした。
西洋文化と出会い
オペラなどの舞台芸術が国の重要なものとして位置付けられていること。
日本の伝統芸能である能楽の重要性、社会的役割を再確認しました。
発展した西洋のあらゆるものを観て感じて日本に戻り、能楽の復活に尽力しました。
その人物が岩倉具視です。梅若実と岩倉具視の活動は記録がのこっています。
道を切り開く、光に導く何かがある。
梅若家の舞いは、日本を創ってきたトップクラスのリーダーたちが魅了され続けています。時代はかわれど、その時々の困難に立ち向かったリーダーが梅若家の舞いをみてなにかしらインスピレーションを受けてきたのではないでしょうか。
「若いのによく舞った」という言葉にはもしかしたら、リーダーたちの求めていた答えやヒントをもたらす何かがあったのかもしれません。
梅若家の舞いは歴史をつくってきた舞い。
「蘆刈」は日本の歴史の原点。
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